てぃーだブログ › 軍用地ブログ › 新空港に思い複雑

2012年07月19日

新空港に思い複雑

オスプレイ
岩国ルポ


 岩国市内の高台から海岸線に目をやると、穏やかな瀬戸内海に面した埋め立て地に真新しい滑走路が広がる。約2500億円を投じて沖合約1㌔に移設された滑走路は、12月13日から軍民共用の「岩国錦帯橋空港」という新たな顔を持つことになる。市民にとって20年来の、”悲願”がかなう節目だが、新空港に向ける視線は歓迎一色ではない。
 6月8日、国土交通省。上京した二井関成山口県知事、福田良彦岩国市長が大臣から開港日を直接伝えられた同じ日、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの岩国陸揚げ方針が報道で明るみに出た。
 「タイミングが悪い。外交に熟知した政治家や官僚がいれば、明るいニュースがあるから、今はちょっと待ってくれと言えるはず」。元岩国商工会議所会頭で岩国空港ビルの柏原伸二社長は苦言を呈する。
 滑走路移設に発端は44年前にさかのぼる。1968年6月、九州大学に米軍機が墜落。岩国市でも危機感が高まり、墜落防止や騒音軽減のため滑走路を住宅地から遠ざけるよう要求が噴き出した。
 しかし移設は遅々として進まず、30年以上の時を経て米軍再編計画の一角に組み込まれた。「完全な”アメ”でしかない」。市民団体からは冷めた見方が口をついて出てくる。
 沖合移設によって岩国の優位性が増したと指摘するのは、基地問題に詳しい愛媛大学の本田博利教授。「普天間飛行場や厚木基地のように周囲に人家がなく、住宅地上空を飛ばない。海に面しており軍港機能も付く」。基地に理解のある保守地盤の土地柄も相まって、再編の受け皿になった。
 困難視する向きが強かった軍民共用空港にはハードルも多かった。柏原氏は「政治力に頼っていたらむしろ駄目だった気がする」とこの間の歩みを回想する。
 突破口は15年前のハワイへのチャーター機第1便。当初、日本の航空法で民間用レーダーがないと民間機は飛ばせないと待ったがかかった。
米軍のレーダー借用を防衛省に掛け合うと「米軍が民間に貸すわけない」と一蹴された。だが米軍司令官との直談判で了承をもらう。「過去に何度も防衛省が驚くような許可を取った」。柏原氏は振り返る。
 定期的な軍民共用に道を開いたのもハワイの米太平洋司令官との3回目の面談だった。「沖縄と違い、岩国とは対立がないので感謝している」。その場で了解が出た。基地絡みで常に住民と米軍の間で問題を抱える沖縄とのギャップが決め手になった。
 民間外交で米軍と向き合ってきた柏原氏は、オスプレイをめぐる日本政府の姿勢をこう評した。「米側は、こちらが出張すれば耳を傾ける。今、言えるだけの人間関係が日米間にないのだろう。配備延期すらできないようじゃ情けない」


※ 7/18(水)沖縄タイムスの記事を抜粋しています。



←うるま不動産 売買のHPはこちら


新空港に思い複雑←うるま不動産 賃貸のHPはこちら





Posted by うるま不動産スタッフ at 14:30│Comments(0)
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 2人
プロフィール
うるま不動産スタッフ